坂本龍馬の名言


坂本龍馬の名言

Sakamoto Ryōma
坂本龍馬

江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。

国: 日本・土佐藩(現在の高知県高知市)
生: 1836年1月3日
没: 1867年12月10日(享年31歳)

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1836年1月3日、土佐国土佐郡上街本町(現:高知県高知市上町)の郷士(下級武士)坂本家に次男として生まれる。坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家で、非常に裕福な家庭だった。

龍馬が生まれる前の晩に、母が龍が天を飛ぶ夢を見たことにちなみ、龍馬と名づけられる。

10歳のときに母が死去。龍馬は父の後妻に養育された。

少年時代の龍馬は気弱な性格であり、いじめにあって抜刀騒ぎを起こし、漢学の塾を退塾させられたという。以後、姉の乙女が武芸や学問を龍馬に教えた。

12歳で剣術道場に入門して小栗流を学び、17歳で小栗流和兵法事目録を得る。同年、龍馬は剣術修行のために江戸に出て、北辰一刀流の桶町千葉道場の門人となる。

龍馬が小千葉道場で剣術修行を始めた直後の1853年7月、ペリー提督率いる米艦隊が浦賀沖に来航。龍馬も臨時招集されて品川の土佐藩下屋敷守備の任務に就いた。

1854年、18歳の龍馬は江戸修行を終えて土佐へ帰国。翌年に父が他界し、坂本家の家督は兄が継承。

1856年、再び剣術修行のため江戸に出て、武市半平太らとともに築地の土佐藩邸中屋敷に寄宿。1858年に土佐へ帰国する。

1861年、武市半平太が土佐藩を尊王攘夷の方向へ導くため、土佐勤王党を結成。龍馬も加盟する。しかし、勤王党の尊王攘夷の主張は藩内の支持を得ることができず、1862年に龍馬は土佐藩から脱藩。

江戸に到着した龍馬は小千葉道場に寄宿し、長州藩の久坂玄瑞(1840~1864)、高杉晋作(1839~1867)らとも交流。その後、勝海舟(1823~1899)の門人となる。

1865年、29歳の龍馬は貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成。

1866年には、雄藩として大きな影響力をもつ薩摩藩(西郷隆盛ら)と長州藩(木戸孝允)の同盟を斡旋。また、江戸幕府の終焉となる1867年の大政奉還の成立に尽力。倒幕および明治維新に大きな影響を与えた。

しかし、大政奉還成立の1ヶ月後の1867年12月10日、龍馬は近江屋事件で暗殺され、31歳の生涯を閉じた。

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何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり

世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る

義理などは夢にも思ふことなかれ 身をしばらるるものなり

われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。

文(ふみ)開く衣の袖は濡れにけり 海より深き君が美心(まごころ)

丸くとも 一かどあれや人心 あまりまろきは ころびやすきぞ

日本を今一度 せんたくいたし申候

恥といふことを打ち捨てて 世のことは成るべし

時勢に応じて自分を変革しろ

感涙とどめず、遥か江戸の地より拝し、龍馬かならずこの恩に報うべし、と天地神明に誓ふ

※父が亡くなった時に詠んだとされる句

事は十中八九まで自らこれを行い 残り一、二を他に譲りて功をなさむべし

世界の海援隊でもやりますかな

 
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