武田信玄の名言


武田信玄の名言

Shingen Takeda
武田信玄

戦国時代の武将、甲斐の守護大名、戦国大名。戦国時代、信玄率いる武田軍は、天下一の軍団として怖れられる。将軍足利義昭と織田信長が対立し、義昭は信長を滅ぼすべく、信玄に信長討伐の御内書を発送。これに応じる形で信玄は甲府を進発。1572年、三方ヶ原において、徳川家康と決戦し勝利。しかし信玄は持病が悪化し、武田軍の進撃は突如として停止。1573年、甲斐に引き返す途中、51歳の生涯を閉じた。宿敵上杉謙信とは、計5回、12年余りに及ぶ「川中島の戦い」を繰り広げた。

国: 日本(甲斐国/現在の山梨県甲府市)
生: 1521年12月1日
没: 1573年5月13日(享年51歳)

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武田信玄 名言集


 
 
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風林火山 – 疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し。

武将が陥りやすい三大失観。一、分別あるものを悪人と見ること。一、遠慮あるものを臆病と見ること。一、軽躁なるものを勇剛と見ること。

渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。

人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ。

自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。

一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。これを一年にすれば、三百六十か条ものことを知ることになるのではないか。

我、人を使うにあらず。その業を使うにあり。

大将たる者は、家臣に慈悲の心をもって接することが、最も重要である。

為せば成る 為さねば成らぬ成る業(わざ)を 成らぬと捨つる人のはかなき

三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、嘘をつく人間である。

戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず。

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。

 
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