岩崎弥太郎の名言には「およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである」、「創業は大胆に、守成は小心たれ。樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし」などがあります。
岩崎弥太郎の概要
幕末から明治にかけて活動した土佐藩士、実業家。事業家として成功を収めて三菱財閥の創業者となり、現在の三菱グループの礎を築いた。
氏名 | 岩崎弥太郎 |
生年月日 | 1835年1月9日 |
没年月日 | 1885年2月7日 |
享年 | 50(歳) |
国籍 | 日本 |
出生地 | 土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮) |
職業 | 土佐藩士、実業家 |
名言 | 創業は大胆に、守成は小心たれ。樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし。 |
【その生涯】
1835年1月9日、土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。岩崎家は甲斐武田家の末裔で、家紋も武田菱に由来するという伝承がある。
弥太郎は、伯母が嫁いだ儒学者の岡本寧浦について学ぶ。1854年、19歳の弥太郎は奥宮慥斎の従者として江戸へ行き、朱子学者・安積艮斎の見山塾に入塾する。
しかし翌年、父が酒席での庄屋との喧嘩により投獄されたため帰国。弥太郎は奉行所に訴えたが、証人は庄屋の味方をしたため、「不正を罷り通すがが奉行所かよ」と訴え、壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と大書したため投獄される。
獄中で弥太郎は同房の商人から算術や商法を学び、後に商業の道に進むきっかけとなった。
出獄した弥太郎は当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、後藤象二郎らの知遇を得る。
弥太郎は東洋が参政になるとこれに仕え、藩吏の一員として長崎に派遣される。しかし弥太郎は丸山花街で遊蕩し、資金がなくなり帰国。無断帰国であったため罷免され、官職を失った。
1867年、32歳の弥太郎は、欧米商人から船舶・武器を輸入したり、藩物産を販売していた土佐藩の開成館長崎商会の主任に命じられる。弥太郎は武器商人グラバーらと取引し、維新後グラバーは三菱に雇われている。
また、坂本龍馬が脱藩の罪を許されて亀山社中が海援隊として土佐藩の外郭機関になると、弥太郎は海援隊の活動も支えたという。
明治維新後、政府が藩営事業を禁止しようとしたため、土佐藩首脳林有造は1869年に海運業私商社として土佐開成社(後の九十九商会)を立ち上げ、弥太郎は事業監督を担当した。
1871年、36歳の弥太郎は廃藩置県で土佐藩官職位を失ったため、九十九商会の経営者となる。
九十九商会は、1873年に三菱商会へ社名を変更。翌年には本店を東京日本橋南茅場町に移し、三菱蒸汽船会社へ社名変更。この時、土佐藩主山内家の三つ柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせ、三菱のマーク「スリーダイヤ」を作った。
1875年、政府は有事の際の徴用を条件に三菱への特別助成を交付。船舶18隻が無償供与される。政府御用達の意味を込めて「郵便汽船三菱会社」と社名変更した。
1877年、弥太郎が42歳のときに西南戦争が勃発。三菱は社船の徴用を命じられる。この時の軍事輸送により、三菱は莫大な利益をあげた。
1885年2月7日、岩崎弥太郎は病死。50年の生涯を閉じた。
弥太郎の死後に三菱は共同運輸会社と合併して日本郵船となる。日本郵船は三菱財閥の源流といわれている。
※ 人物詳細をWikipediaでチェック! Wikipedia(日本語) / Wikipedia(英語)
岩崎弥太郎 名言集
岩崎弥太郎の名言
断じて投機的な事業を企つるなかれ。
岩崎弥太郎の名言
勤倹身を持し、慈善人にまつべし。
岩崎弥太郎の名言
創業は大胆に、守成は小心たれ。樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし。
岩崎弥太郎の名言
樽の上からすくって飲むやつは、たとえ一升飲まれても、三升飲まれてもたいしたことはない。怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ。
岩崎弥太郎の名言
小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ。
岩崎弥太郎の名言
一たび着手せし事業は必ず成功せしめざるべからず。
岩崎弥太郎の名言
奉公至誠の念にすべて寸時もこれを離るべからず。
岩崎弥太郎の名言
部下を優遇するにつとめ、事業上の利益は、なるべく多くを分与すべし。
岩崎弥太郎の名言
機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ。
岩崎弥太郎の名言
自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。ゆえに事業は必成を期し得るものを選び、いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。
岩崎弥太郎の名言
酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉め直す。しかし底が緩んで少しずつ漏れ出すのには、多くの者が気づかないでいたり、気がついても余り大騒ぎしない。しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れの方を大事と見なければならない。
岩崎弥太郎の名言
小事に齷齪(あくせく)するものは大事ならず。よろしく大事業経営の方針をとるべし。
岩崎弥太郎の名言
国家的観念をもってすべての経営事業にあたるべし。
岩崎弥太郎の名言
よく人材技能を鑑別し、すべからく適材を適所に配すべし。
岩崎弥太郎の名言
およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。
岩崎弥太郎の名言
機会は、人間一生のうちに誰でも、一度や二度は必ず来るものである。それをとらえそこねると、その人は一生立身できない。
岩崎弥太郎の名言
人材の育成は学問のある者を積極的に用いよ。
岩崎弥太郎の名言
母の美和が残した「岩崎家の家訓」
一、天の道にそむかない
二、子に苦労をかけない
三、他人の中傷で心を動かさない
四、一家を大切に守る
五、無病の時に油断しない
六、貧しい時のことを忘れない
七、忍耐の心を失わない
★ 名言+Quotes の人気コンテンツ!
・かっこいいひとこと ・頑張れる言葉 ・短い英語の名言 ・元気が出る言葉 ・人生が辛い ・感動する言葉 ・心に残る名言 ・偉人の名言
|
|
No. | 岩崎弥太郎の名言 |
---|---|
1 | 断じて投機的な事業を企つるなかれ。 |
2 | 勤倹身を持し、慈善人にまつべし。 |
3 | 創業は大胆に、守成は小心たれ。樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし。 |
4 | 樽の上からすくって飲むやつは、たとえ一升飲まれても、三升飲まれてもたいしたことはない。怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ。 |
5 | 小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ。 |
6 | 一たび着手せし事業は必ず成功せしめざるべからず。 |
7 | 奉公至誠の念にすべて寸時もこれを離るべからず。 |
8 | 部下を優遇するにつとめ、事業上の利益は、なるべく多くを分与すべし。 |
9 | 機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ。 |
10 | 自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。ゆえに事業は必成を期し得るものを選び、いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。 |
11 | 酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉め直す。しかし底が緩んで少しずつ漏れ出すのには、多くの者が気づかないでいたり、気がついても余り大騒ぎしない。しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れの方を大事と見なければならない。 |
12 | 小事に齷齪(あくせく)するものは大事ならず。よろしく大事業経営の方針をとるべし。 |
13 | 国家的観念をもってすべての経営事業にあたるべし。 |
14 | よく人材技能を鑑別し、すべからく適材を適所に配すべし。 |
15 | およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。 |
16 | 機会は、人間一生のうちに誰でも、一度や二度は必ず来るものである。それをとらえそこねると、その人は一生立身できない。 |
17 | 人材の育成は学問のある者を積極的に用いよ。 |