Musashi Miyamoto
宮本武蔵
江戸時代初期の剣術家、兵法家、二刀を用いる二天一流兵法の祖。
国: 日本
生: 1584年頃
没: 1645年6月13日(享年61)
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武蔵の生まれた年は1584年(天正12年)頃と考えられている。
出生地には吉川英治の小説『宮本武蔵』で採用された美作国(岡山県)説や播磨国(兵庫県)説がある。
武蔵の『五輪書』によると、13歳で初めて新當流の有馬喜兵衛と決闘して勝利し、16歳では但馬国の秋山という強力の兵法者に勝利したという。
以来29歳までに60回ほどの勝負を行い、すべてに勝利。
1600年の関ヶ原の戦いでは、黒田家に仕官していた父と共に東軍として九州で戦った可能性が高いとされている。
武蔵の勝負の中で特に有名なものは「巌流島の決闘」であり、小倉藩領の舟島で岩流なる兵法者と戦ったとされる。
大坂の陣(1614~1615年)では水野勝成の客将として徳川方に参陣し、勝成の嫡子・勝重付で活躍したことが資料から裏付けられている。
1638年の島原の乱では、小倉城主に従い養子の伊織と出陣、一揆軍の投石によって負傷したとの記録がある。
1640年、熊本城主の細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、鷹狩りが許されるなど破格の待遇で迎えられる。
1643年に『五輪書』の執筆を始め、1645年、亡くなる直前に『五輪書』および『独行道』を兵法の弟子に与えた。
1645年6月13日、千葉城の屋敷でその生涯を閉じる。
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宮本武蔵 名言集
宮本武蔵の名言
我、神仏を尊びて、神仏を頼らず。
宮本武蔵の名言
千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。
宮本武蔵の名言
構えあって構えなし。
宮本武蔵の名言
初めの少しのゆがみが、あとには大きくゆがむものである。
宮本武蔵の名言
体の大きい者も小さい者も、心をまっすぐにして、自分自身の条件にとらわれないようにすることが大切である。
宮本武蔵の名言
役に立たぬ事を、せざる事。
宮本武蔵の名言
恋慕の思いに、寄る心なし。
宮本武蔵の名言
心、常に、道を離れず。
宮本武蔵の名言
身を浅く思ひ、世を深く思ふ。
宮本武蔵の名言
一理に達すれば万法に通ず。
宮本武蔵の名言
何れの道にも、別れを悲しまず。
宮本武蔵の名言
我、事において後悔せず。
宮本武蔵の名言
身を捨てても名利は捨てず。
宮本武蔵の名言
一生の間、欲心を思わず。
宮本武蔵の名言
空を道とし、道を空とみる。
宮本武蔵の名言
観見二つのこと、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、それが兵法の要である。
宮本武蔵の名言
打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ。
宮本武蔵の名言
人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ。
宮本武蔵の名言
平常の身体のこなし方を戦いのときの身のこなし方とし、戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とすること。
宮本武蔵の名言
世々の道を背くことなし。
宮本武蔵の名言
道においては死をいとわず思う。
宮本武蔵の名言
多数の人間と戦う時は、こちらが待っていてはいけない。敵が四方から攻めかかってきても、むしろ、こちらから、一方へ追い回す心で向かっていくべきである。待っていてはいけない。こちらから強く切り込み、敵の集団を追いくずし、切りくずしていくのである。
宮本武蔵の名言
武士といえば、常に死ができている者と自惚れているようだが、そんなものは出家、女、百姓とて同様だ。武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。
宮本武蔵の名言
武士は己を知る者のために死す。
宮本武蔵の名言
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